恋する小鳥

Irreplaceable 

アリューシャン・マジックでY10と再会




私はNHKさんやBBCやアニマル・プラネットで、
鳥類や好きな動物が出てきそうなのは適当に溜め録しておきます。
それを夜中に帰ってきて食事しながら早送りで流して、
興味のないところはさくさく捨て、
いいなあと思うものはDVDに焼いて夜中にベッドで観ます。
昨日も夜中に二宮さんのフリーターを観て、
あのお母さんに「んー?」っていう
超優しい声にじわってきて(観てた方はわかってくださるはず…!)
そんでそのあと先日撮っていたこの、
ワンダー×ワンダーという番組の
アリューシャン・マジックのドキュメンタリーを観ました。
→番組の内容のくわしくはこちらへ

アリューシャン列島に大量発生するオキアミを目指して、
その季節になると水鳥とか鯨の群れがやってきて、
すごい数になるっていう、アリューシャンマジックをとりあげたもので、
そりゃあもう、海が真っ黒に染まるほどの、
ものすごい数の水鳥に最初は圧倒されました。

ちょっとね、不謹慎ですけどね、
私ここまで小鳥と暮らしてきた経験の産物か、
1羽の鳥の死を、ものすごく異常に恐れる傾向にあるんですが、
そればっかりでは駄目だって思ってるんですね、それ一方では。

もちろん、大好きな子を悼むのは当然だけど、
その子とこの水鳥が同じなわけないけれど、
ペットであっても鳥は鳥で、いい時だけ野生の鳥と比較したり、
自分に都合よく擬人化して家族とおきかえたり、
他人から見たら、熱帯で暮らすべき動物に見えるものを
お金かけて囲っているエゴ人間に見えているのでは とか、
そのあたりを、客観的に見るというか、
このバランスは、偏りすぎないように、
いつでも甘くでいいからブレーキはかけておかなくちゃって
自然と、野生と、地球と、それぞれ同じようで全部違うこととか、
心のどこかでいつも測ってる。
だから、ただペットの鳥だけ見てても駄目だって思うようになって、
インコと水鳥とか、性質はまるで違うんだけれど、
胡錦鳥とブロイラーを、同じ目で見られないんだけれど、
でも知識として無駄ではないと思ってはいる。
ヒッチコックの「鳥」とドリフが歌った「勝手デショー」と鳴くカラスは、
まったく別物だけれど、人間のなかに鳥の根を与えるとしたら、
きっとどこかでつながっている。
誰もが知っている鳥の一部の文化となる。
なんだかそう、よく考えていて。


そんで、このアリューシャン・マジックのすさまじい鳥の数、
まさに1000万羽、ぶつかり合って、潜り合って
勢いあまって、鯨の口に入ってしまうことも、
そのすごい数の鳥をぼうっと大画面で観ていたら、
なんでしょう、心がね、少し楽になって。
自然とか、野生とか、やっぱりものすごいんですよ。
私の知ってるほんの一部の鳥のこと、
その何万倍ものすごい生き方が地球で繰り広げられている。
たとえばオスカルの死は私にとっていまも惜しい。かけがえがない。
だけど、世界の鳥の死のなかの、
それはほんとうに、本当に本当な一部なもので、
鳥は生きるために食べて、それは命がけで、
だから食べるために死ぬこともあって、
だけど種をつないでいくから、両親の数、2よりも多くの、
卵を産んで、できれば個体を増やそうと、
もし雛や卵のまま何羽か死んだとしても、
最悪その2は残そうと、両親が受け継がないといけない、
命の2は現状維持しようと、そうすれば減らないのだと、
そういう、受け継がれる営みのなかで、鳥はものすごい数生きて、
ものすごい数死んでいって、
そのものすごい数の生き死にのサイクルが、
群れの全部で行われるそれをひっくるめて、「鳥」なんだということ。
1羽でも「鳥」であるけれど、集団で生きて死んでいく、
そのすべてのことをひとつとして「鳥」だということ。
そう、これが「鳥」。

食べられているオキアミをアップで観れば可愛い海老で、
だけどそれを大量に食べていく鯨の親子とその海老が、
同じ重さの命なんてことは絶対にないはずで。
命は平等ではないはずで。それほどのお花畑はないはずで。
この1000万羽分の1羽の水鳥と、私の鳥は同じではないのに、
それでもこっちの鳥たちが、本当の鳥の姿だって、ちゃんと知ってる。
でも臆病な私はそこで安堵のため息をもらしてしまう。
ああ、失うたび、自分の人生の何日かを
立ち上がれないほどの悲しみを背負う小鳥たちの死も、
この大量の鳥のたった1羽と変わらないものなはずで、
死ぬことも含めて「鳥」であること。
世界にはこんなに鳥がいるのだから、
生きて死んで、それは自然のことなのだから、
生きている間にどれだけ楽しく過ごせたか、
繁殖したければさせる、食べたければ食べさせる、
遊びたければ遊ばせる、話したければ話し相手になる。
やはりそれ一点に鳥の人生はつきるのではないか。
事故であっても病死であっても突然死であっても、
すべてふくめて本当は、
鳥の死というのは総じて自然死と呼ぶべきものなのではないか とか、
ずっとそう、そういうことを、

考えていました。ああ、すばらしい映像でした。

それから、いつだったかちょうど自分が
挿し餌で四苦八苦しているときに(今もそうですが)、
人工保育しているアホウドリの雛が巣立つまでのドキュメンタリーを
なにかのテレビで観たことがありました。
環境省のアホウドリ保護増殖事業計画の一環ですね。
繁殖地である鳥島の火山活動が活発になってきているので、
噴火しちゃうと絶滅危惧種のアホウドリがまじでヤバイので、
元は繁殖地だった聟島に移住させるため雛から移していくという。

そのときに、すごく手がかかって、
巣立ちもめっぽう遅い、漫画みたいな雛がいたんですよ。
頭を固定してシリンジのようなもので食べさせるんですが、
手を離した途端に全部吐いてしまう。
まわりには親鳥のマネキンが置いてあるのですが、
その雛だけは人間の手にだまされないぞってかんじで、
すぐにどばっと吐き出す、
その見事な吐きっぷりに、不謹慎ですが笑ってしまって、
ひょこひょこ歩く姿や、おなかがすいているのに
つんつんして意地張る姿をよく覚えていたものでした。

その雛がですね、なんと出てきたんですよ、
このアリューシャン・マジックの映像のなかに。

あれから2年もたってですよ、
日本のおじいさんおばあさんの手で
挿し餌で育てられたあの、
よく食べずにぐずぐずと育たなくて
もう死ぬんじゃないかと危惧されたあの雛が、
日本から5000キロ離れたアリューシャン列島までやってきて、
このオキアミを食べにきていたんです!
足環でわかったんですよー、それで雛の映像が出たら、
懐かしいあの見事な吐きシーンだった(笑)
驚きましたー、いや感激でした。

人間が育てた雛が、大自然の一部にちゃんと組み込まれていたこと、
鳥は親のミルクでないものを摂取することによって、
多少の免疫や栄養が不十分になることはあるでしょうが、
本来持つべき種の能力はそれによって損なわれるものではないことが、
あらためてわかって、それはすごい勇気になりました。
ありがとうY10。ほんとに再会がうれしい。
「あの足環、後からはめたやらせじゃないの?」
っていうひともいそうですが、
ちゃんと年月たった、あの足環だったと思いますー。
すごい確立、すごい偶然。残りの9羽も元気かなあ。

しかし二年前もこうやって変わらず鳥の映像に「おおお!」って
ひとり感激してた私って・・・もう駄目だー!結婚は無理だー!


ということで、今日はアリューシャン・マジックの映像で、
感動冷め遣らぬS子でした。
こうやって何度もリピして同じの見てるから、
いつまでたっても全部観終われないのよね・・・。





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Category: 鳥・動物ニュース
Published on: Wed,  15 2010 13:28
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