恋する小鳥

Irreplaceable 

あんことお墓

私は子供の頃、和菓子が食べられなかった。

古い家で父方の祖母と寝所を共にしていたせいか、
よもぎを取って来い、笹を取って来い、わらびを取って来い、と
本当によく使われた。
山に一人で出かけるのは好きだったし、
池で鯉や蛇を見るのも好きだったから
そういったことは苦じゃなかったけど、
取って帰った草などを、掃除して(使える部分だけにすること)
和菓子を作る手伝いをするのが苦痛だった。
一升瓶に入った小豆を選り分けたり、餅米のコクゾウ虫を取り除いたり、
やらされることは山ほどあった。
年始用の餅は庭で薪を燃やし、米を焚いて蒸らして餅をついて、
やけどするほど熱いものを丸めて、
大量に作らなければいけなかったし、
鏡餅などは30cmほどの大きさのものを
親戚中に配る分を作らされなければならず、
出来上がったおはぎやよもぎ餅はいつも
寺の住職や墓にまで持って供えなくてはならず、
出きたてを運ぶ頃には薄暗くなっていたけど、
祖母は必ず、私を使いに出した。

夕方遅くに自転車で竹藪を抜けて、
墓地を回ることは怖くて仕方がなかった。
嵐山の竹林の写真をよく観光映像で見るけれど、
あれとまったくおなじような風景だったと記憶している。
ただ、音が違う。ものすごい音がしていたと思う。
それがときに悲鳴に聞こえ、叫び声に聞こえ、
今同じことをやれと言われれば、絶対に無理だと思える。

ましてや私は和菓子が食べられない。
自分が食べられないものを作り、届け、怖がり、
帰ればどんなに早く飛ばしても、遅いと叱られた。、
なんにも楽しくなかった。
私がいくらおかきを火鉢でぽたぽたうまく焼けるようになっても、
その間に同級生や弟たちは公文や塾で勉強していたのだから、
私はずいぶん田舎者で古臭く、世間知らずで、学校で浮いていたと思う。
中学生になっても80代の老婆と同衾していたのだから、
性分という意味ではなく、本当に人間の体臭として、
婆臭さが体に沁みついていたのではないかと思う。
どんどん呆けがひどくなる祖母を、
離れず見張っていなくてはいけなかった。
ひとりで寝る布団が欲しいとは、どうしても言えなかった。

私は今でも「お羊羹」と言うが、いまどきはきっと「羊羹」でいいのだろう。
だけど全てに「お」をつけるように言われて育ったので、
変な言葉づかいが抜けず、男子にからかわれたものだ。
その癖も、呉服業のときだけは多少役にたったけれど、
今となっては、ダイオキシン様のおかげで、
庭で薪を燃やすこともできないご時世となり、
和菓子やさんで働けばまた違ったのかもしれないけれど、
あの時代の経験は、今の私に、なんの意味ももたらさなかったとはっきり思う。
もう手作りで餅をつこうなどと、一生思うまい。
どんなに作りたてが美味しくても、わらび餅ひとつ、作ろうとは思えぬ。

それでも子供のころはまったく食べられなかった和菓子が、
留学から帰ってきてから、すこしづつ食べられるようになった。
今でもおはぎや、こし餡すぎるこし餡は苦手だけれど、
ゆず最中や、お饅頭を食べられるようになって、美味しいと思うようになった。
呉服業のときにたくさんの京都の老舗の和菓子やさんを巡った日々があり、
素直に和菓子の魅力のとりこになって、京菓子のファンになった。
そのことで少し、人生が豊かになったような気がしている。
和菓子のもったりとした素材によるフォルムの醸し出す美しさや、
羊羹に閉じ込められたそのお店の想いや煌めきに、
亀の形の砂糖細工の可愛さに悶絶したりする。のが楽しい。
大好きなのは琥珀。カリッとして、いつも小気味よく裏切ってくるお菓子。
和菓子はきれい。中まできれい。

元旦に母方の祖父のお墓参りに行ってきた。
母の実家の風習では、墓地にお菓子はおかないらしく、
偽物の花だけが飾ってあるお墓ばかり。
祖父は日本酒が命だったので、正月用の金箔入りの酒を、
お水のふりして降り注いできた。
あんなイベント用のお酒じゃ、満足しないかもしれないが。
持っていた俵屋吉富の山椒もちを一粒置いた。
今は、子供時代の、あの薄暗い夕暮れ刻に、
背中から誰かのぞいてそうな視線を感じながら、
折った半紙の上に、祖母と作ったあんころ餅を置いて、
野菊を差し、水をかけ、怖くて後ろを見れないまま、
一瞬だけ手を合わせて逃げるように帰ったあの恐怖がなつかしい。
笹の共鳴しあう轟轟という音しかしない真空のような墓地の目のなかで、
私という小さな生き物は、無いに等しかった。
そびえたつ竹藪に囲まれて睨まれて、ぐるぐると目がまわった。
タイムスリップしたかのような場所、ただそれだけ、
ただそれだけが、この世の世界のようだった。
なにかを見たような、なにかを聞いたような、
その怖さに一度かられると狂ったように逃げおりた。
ふもとまで下りられたときに、小さな村の幼馴染みの家々の窓に、
明かりがともっているのを目にしたとき、夕飯の声を耳にしたとき、、
あのほっとして、下界に降りてきたかのような、
何とも言えない景色と、
じわりじわり、嫉妬。普通の家、普通とは、何。
なぜか気の毒がって苛立った住職と、憮然としたその妻の顔。
このまま私はどうなるんだろうかという不安。
今か今かと帰りを待つ祖母のもとへ、行かなくてはいけないのに、
もう嫌だ、家事はもう嫌だ、夕飯のおはぎが食べられないのが嫌だ、
本当はテレビが見たい、民謡ではなくベストテンが見たい。
兄弟たちが熱中しているマリオというゲームを一度私もしてみたい、
渦巻いては消える、どれも小さな反抗心。
いろんなものがつまってた。このまま帰らなかったら、
山に呑み込まれたら、幽霊に取り込まれたら、
どんな世界に行けるのか。鬼太郎の世界のように、
猫娘に取って変わって、楽しく暮らせるかもしれないなどと妄想ばかりしてた。

この墓より、あの墓のほうがずっと好きだった。
そんなことを思い出していた。










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カタカナに「お」がつけられないと知ったときの衝撃は

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Category: S家流暮らし方
Published on: Sun,  03 2016 03:54
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