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恋する小鳥

Irreplaceable 

ブルーギル

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子供の頃、ど田舎に住んでいた私は家の裏山が広大な遊び場で、友人たちと公園などで遊んだ記憶がほとんどない。
鉄棒や雲梯やジャングルジムなど遊具というものは校庭にあるインテリアのようなもので、
実際にそれを使って遊ぶという意味が良くわからなかったので、遊び方もよくわからなかったと思う。
体育の時間になって鉄棒の逆上がりなどをやらなくてはならず、
お手本を見ようと思っていたら先生ではなく同級生が前に出て、
「ハイ!」といっておもむろにぐるんぐるん回りだし、なぜできる・・!?と仰天した。
みんなは鉄棒の鉄の臭いが手に付くのが嫌で遊んだことのない私に仰天していた。

いわゆる住宅街に住む子供たちは学校が始まる前も学校が終わっても校庭で遊んでいたし、
大きな校庭の遊具は総なめだったらしい。
でも、そこから1時間ほど歩かなければ家に帰れない山のふもとに住む私のような子供たちは、
とにかく日が暮れないうちに家にたどり着くだけで精一杯だったし、
私は3月下旬生まれで幼稚園も入院であまり行ってなかったので、
なんだか周囲についていけず、まるでひとごとのような小学生生活で、
登校も、自分では一生懸命歩いているんだけど、始業時刻に間に合わないこどがしょっちゅうで、
遊具の用途とか、意味とか、それを使うことが楽しいとかが、本当によくわからなかった。

タイヤが半分埋まってるものが点々とあって、それがどうしてなのか中学生まで不思議だったし、
ジャングルジムから落ちて骨折している同級生の女の子が、
たいそうなギブスをしてみんなと遊べないと泣いているのを見て、
「はい?」みたいに首かしげてた。
もうその時点で脳みその発達に、差がついてたのだろうけど。

私の近所に住む子供たちは家に帰れば家族の便所の肥をひしゃくで掬って畑に撒いたり、
薪をくべて家族の風呂を入れなくてはならなかったり、
私も洗濯物を取り入れてたたんだり、夕飯の買い物に行かなくてはならず、
とにかく学校はついでのようなものだったから、義務で行っていただけで、
そこでなにか楽しいことがあるというイメージを持つことが高学年になるまであまりできなかった。

その頃に両親と会話らしい会話をしていた記憶もほとんどなくて、
初めて通知簿を貰ったときも、それをどうしたのかもわからないし、
なにか休み明けに先生に戻さなくてはいけなかったような気もするけど、
戻したのかどうかも記憶がない。

別に今で言う発達障害などではなかったようで、ただ周りと一年くらいのブランクを
どうして越えていいのか、よくわかってなかったままポンとクラスに入れられてしまったのだと思う。
そんな私の小学校1年生のときに、小学6年生にいとこがいて、
そのお兄ちゃんが、私がどんなに登校でグループから遅れて行っても、
何も言わず一緒に遅れてついてきてくれるひとだった。

実の兄はさっさと私を毎朝見限って先に行ってしまうのだけれど、
いとこのお兄ちゃんは、成績優秀、走るのはいつも一番、習字もいつも一番のなんかすごいひとで、
細マッチョでイケメンで、背が高くてモテモテの小学六年生だったらしい。
それが、私と一緒に毎日遅刻するからあほみたいに目立つ。
いとこの妹には嫉妬されるし、6年生の女子がわざわざやってきて顔を見に来るくらいだった。

彼は毎朝私のランドセルを持ち、授業の始まっている私の教室をパーン!と開けて、
「ん。」って、私の背中を押し、ランドセルを渡して、また勢いよくパーン!と閉めて自分の教室へのらりくらい向かう。
その送り届けましたよスタイルを、いとこは自分の親に強制されていたのか、祖母が頼んだのかわからないけど、
なぜかずっとそうして私を教室に連れていってくれていた。

私は最初確かによく自分の教室といわれるものがどこかわからなくて隣組にはいって唖然とされたり、
中庭で迷って池で魚を見ていたらどうでもよくなって、はしっこの音楽室でピアノ弾いてたりしたことがあるので、
いとこはそういうことのないようにしていてくれたのかも知れない。

彼はとても冷めた子供で、たいそう肝の据わったひとだったと思う。
絶対にあせったりしないし、早く歩けとも一度も言わない。
自分が遅刻しても何も感じないようで、先生に怒られてもしらっとしてまったく聞いていない様子だった。
のちにエリート校に進学して荒れに荒れて怖いおにいさんになってしまったけど、
それまでは少しいびつな家族間の中で生きていた私に、特に優しくしてくれたひとだったように覚えてる。


私はよく吐く子供で、しょっちゅう学校でも吐いてたし、それを自分でぞうきんで拭くよう渡されても、
うまく処理できず、いつもモタモタしているうちに臭いにあてられてまた吐くということの繰り返しを何度かやった。
新任の女教師はそれがイライラのもとで仕方なかったらしく、
しかも授業の邪魔をするように毎朝、「パーン!」「ん。」「パーン!」の繰り返しにメンタルがやられていってたよう。
さらに私のクラスには男子が3人ほど、とても騒がしい子供たちがいて、
しょっちゅう先生を困らせていたようだ(私は四年生くらいまでうわのそらだったのでそれにも気づかなかったけど)。


そしてある時、黒板に向かっていた女の先生が発狂した。
きええええええ!と叫んで、黒板に向かったまま上半身だけ横に揺れていた。
メトロノームみたいに。


本当にそういう金切り声のようなものをなにか大声で叫んでいて、子供たちは静まりかえっていたら、
バタバタと廊下から校長先生や男の先生が飛び込んできて、
彼女を引っ張ってどこかへ連れていった。
私はなにか今日はそういう学校のイベントの日なのかと思ってちょっとワクワクしてそれを見てたような気がするけど、
先生はそのまま二度と戻ってくることはなかった。
それからは毎日校長先生と教頭先生がかわりばんこで授業をするようになり、
新任の女教師になめくさった態度だったクラスがどんどん萎縮していっていい子ちゃんクラスになった。
3人組の男子は徹底的にマークされて教育し直され、いつしか城とか織田軍とかばかり言いだす歴史少年衆になっていた。
私の始末は校長先生がそこの元教頭だった私の祖母と話し,歩くのが遅くて間に合わないなら
一時間目は出なくてもかまわないということになったようだった。
なにより、突発的な私の吐瀉物を校長先生がニコニコと一緒に片付けてくれて、
ほうきとちりとりと新聞紙でマジックのように綺麗にする方法を教えてくれて、
そのストレスが軽減されていつしか吐かなくなっていったのが私には良かった。

いとこは受験生だったので寝不足が多く、私とのんびり2時限目から出ることになんの異議もないようだった。
相変わらずふたりでのんびり登校していたと思う。
途中に池があって歩くのをやめて亀や金魚をのぞき込む私に付き合ってぼーっとそばに立っていた。
先生はどこに行ったの?と誰かに聞いたら、
先生は病気で休んでいると言われた。



私が人類として自分は小学校に通う人間なんだと覚醒したのは、小学四年生だったと思う。
国語の授業でついに名詞でない、動詞の漢字を習い、さあっと頭が冴えて現実が、まわりが見えていった。
自分の身長が何センチかとか、それがどれだけ友人たちと比べて低くてチビに見えてるかとか、
自分が今やろうとしてること、やってること、そういったことが、
漢字になって、生き生きと自分に色づいていって、
さあっと目の前の真っ白だった道がカラフルになったのを見た。
無口でガリガリで真っ黒で、今では差別かも知れないが難民とあだ名がついていた私が、
よく食べ、よく喋り、色白を目指した原点だ。
あのときもし覚醒しなかったら、今も細かったかも知れないからしないほうが良かったのかもしれないけど。
漢字の世界はすごいと思った。国語の時間には、頭がキリキリと回っていく音がした。
国語で百点取れなかった日は、悔しくて泣くくらいに情緒がついていた。

もうずいぶん前に葬式で、喪服に腰までのロングをポニーテールにして
可愛い子供とヤンキーの嫁を連れていた長身のにいちゃんがいて、それが自分のいとこのおにいちゃんだった。
今もアメ村で店を持ち、自分のブランドの服を売っているらしい。

神経をぶち切れさせてしまった女の先生は、中学生だったある日、
友達から回し見せてもらった新興宗教の小さな新聞に、信者として寄稿が寄せられていて、
今は希望と感謝で胸がいっぱいみたいなことが笑顔の写真とともに書いてあった。
幸せをお裾分けすべく元生徒の家を勧誘に回っているらしいと、まるで怪談のようなおどろおどろしい風評も聞いた。
もちろん住宅地限定の話で、私の住んでいるような山の子には縁もゆかりもない話だった。
私のせいだったのかも知れないし、3人組のせいだったのかもしれないし、
閉鎖的な田舎の学校で色々とご苦労されていたのかもしれないけど、
とりあえずお元気そうでほっとした記憶がある。


何を思ってこんなことを書いたのかというと、ブルーギル。
最近かいぼりが流行っているので、外来種の駆除がすごくニュースでありますよね。
私が学校の池で見ていた魚がブルーギル。
山の池でカラス貝を探して歩いていたときも、養殖池にいっぱいいて
一緒にいたいとこや兄弟が釣っていたのがブルーギル。
この縞がある小さい魚の名前を、カタカナで格好良い名前を、
教えてくれたのはいとこのあのお兄ちゃんだった。
キラキラして綺麗で、でも赤い金魚や鯉狙いだったからギルはどんどん釣れてリリースされていた。
あの頃からお邪魔者だったけど、
あの頃から、もうずっといたんだよね。

外来種の駆除は必然。でも当然とは言えない弱さが私にはある。
捕らわれて不安そうなギルの目にちょっと心打たれる。
ごめんね、と思う。
北米では、美味しそうにフライになっている。爆発的に増えるから、子持ちカレイみたいに、
子持ちブルーギルのフライとか、本当に美味しそう。
グーグル画像で cook Bluegill sunfish 検索して落ち着かせてみる。

そのフライの姿を一生懸命思い浮かべて、これは魚、ここじゃない場所で沢山幸せに暮らしてる魚。
この子たちも殺されたり食べられたりするけど、この子たちに食べられるメダカもフナもいる。
その連鎖が繰り返されているのを、ちょっと矯正するだけのこと。

気持ちはそういう感じ。誰もブルーギル大嫌い!という思いでやっているわけではないから、
みんな切なそうな顔してかいぼりしてるように見える。それがまた、なんだか見るたびいたたまれない。


今でもなぜそっとドアを開けず、勢いよくパーン!と、
いとこが教室のドアを開けていたのかわからない。
私の教室から歩いて一分後、別の教室でパーン!と扉の開いた音がいつもしていたから、
6年生の自分の教室に入るときも、いとこは大きな音を立てて毎日堂々と遅刻していたのだろう。


先生は若くして結婚した男性が、神父か地区長かだったらしい。
神様とかそういう壮大なネタ話を、信じれるひとがうらやましいときもあった。
先生はもう一度,自分の中に神様を見つけたあと、
教壇に戻ったりしたのかな。











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Category: 鳥以外のこと
Published on: Mon,  15 2018 23:20
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